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高校生の哲学。

高校生の哲学。

体罰

・子供の為?

そもそも何故教師が体罰をするかと言うと、大体は「子供の為」と言う理由からだ。

一部感情的な体罰も有るがそれは別として、大体は子供の為と思ってやる、若しくは何も考えていない。

教師は「子供の為」と言うが、当の子供は体罰についてどう感じるだろうか。

「お前の為なんだぞ」と言って殴られても、子供はそう納得出来る物じゃないだろう。

例え自分が悪いと自覚していても、何も「体罰を与えなければいけない」訳じゃ無いのに、と子供は不信感を抱く。

この不信感は、教師が自分の感情に任せて体罰を与えているのでは無いか、と言う事も思わせる。

何故自分が体罰を受けなければいけなかったのか分からないのでは、体罰をしても反発されるだけで逆効果だ。


・何が子供の為になるか

「勉強した方が子供の為になるから」と言ったって、体罰を与えてまでさせるべきかと言うと疑問だ。

勉強をせずに立派な大人になる方法もあるのに、勉強のみを強要させるのは子供の未来を狭める事も考え得る。

少々話が逸れるが、そもそも勉強をしない子供が立派な大人になるのが難しすぎるのではないか。

勉強が出来ない子供の将来も学校が考えて、手助けしてやらなきゃいけない。

何度も親身な個人面談をしたり、将来の話し合いをする事も大切だと思う。


・体罰の有用性

筆者は、体罰の有用性は必ずしも無い訳では無いと思っている。

その一つとして挙げられるのが、授業中に騒ぐ子供に対する体罰だ。

勿論、問題の生徒に聴こえる様に再三注意して、教師が努力しても無駄な場合、だが。

生徒が騒いだり、騒ぐ生徒に説教する事に因って授業が中断してしまっては被害が広がる一方だ。

詰まり、他の生徒の迷惑になっている場合の体罰は許されると思われる。

一度体罰を与えれば、暫くは騒ぐ事も無くなるだろう。

また、体罰を絶対の悪としてしまう事によって、授業を妨害する生徒を止める術が無くなってしまっているのも事実だ。

それ以外の体罰については、筆者は基本的に認めたくない。


・基本

大人は体罰の問題になると教育的にどうだとか、神経生理学や発達心理学を持ち出して議論するが、実際の問題はケースバイケースだ。

「日本の子供にとって良い教育」では無く、「一人一人の子供にとって良い教育」が求められている事を忘れてはいけない。


・教師の立場

大体、教師の権力が強すぎると筆者は感じている。子供が大よそ正当な理由で反抗したいとして、子供に出来る事に何があるだろう。

教師に大きな問題がある場合以外でも、何か正当な要望等があったとして、子供達はどうすれば良い?

子供達が反抗した所で、それは殆ど意味を成さないだろう。

教育は、教師や学校に間違いが無いと言う前提で作られている。実際そんな事は無いのは明らかだ。

公立私立関係無く、その学校の教師・生徒の問題・要望に対して、学校毎の対策をする時代が来ているんじゃないだろうか。


・一つの改革論

各学校に教育問題専門の司法官を少人数置き、生徒が気軽に相談出来る様にしてみてはどうだろう。

司法官がいると言う事は当然、生徒ないし教師が行った事に対し、どの様な罰が妥当かしっかりと定められている事が前提だ。

定められていると言っても実際は教師や司法官の主観が入るだろうが、それも仕方ないと思う。法に忠実にした所で生徒の為になるとは限らないのだから。

大切なのは、子供が行った事に対し、根本的な解決(更正)に繋がる罰を考える事だ。

各学校の司法官は定期的に集まり、議論等をして教育問題の改善に取り組んで貰えると尚良い。

また司法官は平等を規す為、定期的に他校の司法官と入れ替わると尚良い。


・教育≠育児

体罰を絶対的な悪と言ってしまうと、自分の子供にも体罰をしてはいけないと思う親が増えるんじゃないかと不安に思う。

子供、特に幼児期の子供には体罰が必要になる事も大いに有る。

怒ると叱る。体罰と虐待。親がこの違いを考える事が非常に重要だ。これは教育にも言える事だと思う。

子供・生徒に嫌われたくないからと言って叱らないのは駄目だし、腹が立ったからと言って怒るのも駄目だ。

この加減はとても難しい物だし、身に付けるのも大変な事だろう。

しかし、子供の事を第一に考え、本当に子供の為になる事は何かを考えれば自ずと答えの糸口が見つかるかも知れない。

自分が正しいとは思わず、常に最善策を模索し続ける事が大切だと筆者は考える。



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